西欧鉄道旅行 2019 ⑤
5日目はサン・モリッツ観光となった。
市街中心部にある駅からケーブルカーで山を登っていく。
交通費はホテル支給のフリーパスを使ったため完全にタダである。
9月はオフシーズンのようで街もケーブルカーも極めて快適に過ごせる。
このユルい雰囲気、いいよね。
ケーブルカーを一回乗り換え、さらにロープウェイに乗り込む。
かなり大型のロープウェイで、大して客数があるわけでも無いが車掌が付く。
かなり標高を上げているので景色はなかなかのもの。
割と中途半端な積雪量だがシーズン中ならもう少し写真に映えるのかもしれない。
3057m地点らしい。
頂上にはこの駅舎しかなく、他の数人の客はみなトレッキングの順路へ消えて行った。
駅舎には立派なレストランが併設されていてきちんとした食事ができる。
特に味が良いというわけではないし値段も相応だが、雪山を眺めながらの食事にはテンションが上がる。
ロープウェイはローカル線並みの運行頻度で、乗るには少し待たなくてはならなかった。
その後は天気が良ければ撮り鉄でもしようかとやる気でいたが、ドン曇り+クソ寒で見事ホテル引きこもりとなった。
夕食は前日と同じレストランでスイス名物チーズフォンデュと意気込んだ。
これが大変美味い。
パンはそこらにあるような少しパサついたものだが、それをチーズに浸すとたちまちジューシーなヨーロピアン・食い物に変貌する。
スイスへ来たなら迷わず太ろう。
美味しかったビール。
炭酸が強くよく冷えていて、暖かいレストランで飲むには最高の条件をクリアしていた。
ミャンマー・バガンの床屋で髪を切った話
旅行をしていると、ふとした瞬間に髪を切りたくなることがあると思う。
今回(2月上旬)はミャンマー・バガン滞在中に突然そんな気分になり床屋へ行ってきた。
皆さんがバガンへ行った際に床屋へ行きたくなったなら、この記事が役に立つことだろう。
【今回訪れたのはここ】
ニャウンウー市場の北東側の角っこ。
店名はずばり"Barber shop"と書いてあるが、おそらくミャンマー語のきちんとした名前があるはずである(ビルマ文字オンリーだったので読み取れなかった)。
レンタルの電動バイクで訪れたが、店の目の前に市場の駐輪場(といってもただの道端で、バイクを持っていくとどこからか出てくる係員に200Ksを渡す)があるので安心できた。
その駐輪場の係員に髪を切りたいことをジェスチャーで伝えると、親切にも店へその旨を伝えてくれた。
店外の椅子に座って順番を待つ。
なぜか隣のおじさんに日本語で名前を尋ねられたり、なぜか近所の子供たちが集まってきて興味津々に見物されるなどのイベントが発生したが、3人を20分ほど待つと、店員に肩をたたかれ椅子へ案内された。
店内には椅子が2つあり一度に2人を切れるようになっているが、そのうち店員の1人はバイクに乗ってどこかへ行ってしまった。
イカつい兄ちゃんに"Myanmar young style!"と伝えたところ、きちんと伝わりささっと切ってくれた。
10分もかからずに終わったと思う。
ミャンマーは日中が非常に暑い国である。
これくらい思い切った刈り上げ方をしなくては耐えられないものなのであろう。
値段は2000Ks(¥150程度)だった。
散髪した直後はイマイチかとも思ったが、そのうちに割と気に入る髪型となった。
技術について過度な期待をしてはいけないが、人前に出られないような髪型にはされないだろう。
まあ日本へ帰ってからがエラい寒かったが……。
ちなみにニャウンウー市場では(確か南東側に)もう一軒床屋を見かけ、また市場の南側の通り沿いには美容院があり、若い姉ちゃんが髪を切ってもらっているのを見た。
バガンのほかの場所では見かけなかったので、散髪するのであればニャウンウー市場へ向かうことをおすすめする。
【まとめ】
場所……ニャウンウー市場の北東側角っこ
値段……2000Ks(¥150程度)
言語……極めて簡単な英語であれば伝わると思う
西欧鉄道旅行 2019 ④
4日目の9/5はいよいよユーレイルパスを使って鉄道で移動していく。
ユーレイルパスは使用日・月と"Journey details"だけを自分で記入し、残る使用開始手続きを駅窓口で行う必要がある。
旅行が進むうちに突発的な旅程の変更や単なる疲れなどによって"Journey details"の記入が面倒になってくるがこれは仕方がない。
ということでちょっとだけ時間に余裕をもってミラノ中央駅1Fのチケットカウンターへ。
自動発券機で整理券をもらって列に並んで待つ。朝方なので大した列ではなく2~3分で呼ばれた。
3か所の記入と1か所のスタンプを押してもらい2Fのホームへ。
乗るのはヨーロッパのどこにでもいそうな標準型の快速列車。
マルペンサ・エクスプレスと同じ型かと思ったら外観がちょっと違う。
座席は硬めだがシートピッチは広めで窮屈な印象はなかった。
10時過ぎにミラノを出て少しすると山間部へ入っていき湖沿いを走るなどしていく。
ちなみにこの電車、トイレが故障で閉鎖されていて終点まで2時間半の尿意耐久レースとなってしまった。
トイレのドアに貼ってあった故障通知の張り紙を読むインド系旅行客の絶望した顔は忘れられない。
湖の眺めにもそろそろ飽きてきた頃、スイスとの国境にほど近いティラーノに着く。
ここからはあの有名なベルニナ線が出ているので駅前にはレストランがいくつもあり、しかもどこも混んでいる。
国道(?)をベルニナ線に沿うような形で10分くらい歩いていくと割と空いたピザ屋にたどり着いたので、そこで昼食とした。
ピザかと思ったらなんか違う食べ物が出てきた。
大量のオリーブとトマト、チーズが効いていてなかなかおいしいがかなりのボリュームだった。歩くのもツラい。
しかしもうちょい歩いていくと小さな市街地があり、ちょっとした広場でベルニナ線とティラーノ聖母教会を絡めて撮ることができる。
乗り換え時間を活用して撮ったにしては激Vである。
ちなみにティラーノ駅からは片道徒歩20分くらいかかるのでそれなりの時間的余裕は必要だ。
次はベルニナ線の鈍行に乗車。
EC×2 + PC×6(?) というげきつよ電車牽引の客車列車。
さすがに観光路線なだけあり、車内清掃が行き届いていてトイレも故障していない。
発車後しばらくして車掌が回ってきてパスを見せるが、券本体の貼り付け位置が違うとかでひと悶着あった。
最終的には別にどうということもないらしく見逃してくれたが、この後ももう一度スイス国内で同じようなやり取りが発生することになる。しかしスイス以外では何も言われなかったのでかなり不思議な出来事だった。そもそも自宅に郵送されてきた段階からこの位置に貼ってあったぞ。
しかしさすがは観光路線である。車掌の物腰は穏やかで険悪な雰囲気にもならず、列車は山間を高度を上げつつ走っていく。
まあよくテレビとかで紹介されるような風景だ。
最初のうちは興奮するなり感激するなりしていたが、これが1時間以上も続けばさすがに飽きが来る。贅沢な話ではあるが。
あんまり高度を上げるので森林限界を越えて車窓からは草と石ころと牛だけが見えることになる。
これにも非常に感激したが、まあ30分もすれば飽きる。
飽きるとはいえティラーノからサン・モリッツまでの所要時間は2時間強とそこまで苦痛ではない。
そんなこんなでサン・モリッツに到着した。
てかめちゃくちゃ寒い。
ちょうど気持ち良いくらいの気温だったミラノやティラーノとは大違いで、おそらく5℃くらいだったかな。
9月だというのに大荷物からダウンコートを引っ張り出して着てしまった。
宿は"Hotel Languard"に取ったが、駅から丘をはるばる登った場所にあるので極寒のなか重い荷物を背負いつつ格闘するハメになってしまった(ちなみにこの街には丘の中腹まで上ることができる長い長い公共エスカレーターが存在するのでこれは完全な徒労である)。
窓口には大型犬と愛想の良いお姉さんがお出迎え。
部屋の鍵とともにサン・モリッツ地区のケーブルカー・ロープウェイ・バス・列車が乗り放題になるフリーパスを渡された。
これはサン・モリッツのホテルに2泊以上の滞在で貰えるパスで、のちにケーブルカーとロープウェイで使うことになるが非常に便利なサービスだった。
部屋に入るがそうじっとしているわけにもいかない。
すぐにホテル近くのレストランで夕食にありつく。
ビールが!! 美味い!!!
外が寒いだけに店内は暖房ガン効きでビールが進む進む。
片方のブランドは "Calanda" でもうひとつは忘れてしまった。
パスタは可もなく不可もなく。でもイタリアよりは美味い。
生ハムやらサラミやらのおつまみセットもなかなかのものだった。
満足した後はありえん長いエスカレーターでもって湖畔へ下り、駅でバルブ大会とした。
ミラノ中央駅のような改札ゲートはなく、夜ということで発着する列車も少ないため人目を気にせず撮影できる。
またサン・モリッツ駅にはいくつかの留置線があり様々なタイプの客車がいるので見ていて飽きない。
クソ寒いことを除けば非常に快適な時間だった。
西欧鉄道旅行 2019 ③
3日目の9/4は朝から地下鉄でサン・ロレンツォ・マッジョーレ大聖堂へ向かう。
地下鉄の駅にある売店で立ち番のおじさんから買う。券売機で売ればいいのでは?とは思ったがそこは色々あるのだろう。
10分くらいで降りて20分くらい歩きヨーロッパ風の門をくぐるとサン・ロレンツォ・マッジョーレ大聖堂の立派な正面が見えてくる。
この教会はカトリックの歴史あるものらしいが、訪れたのは朝9時過ぎ。観光客も見当たらないが内部へ繋がる扉は開いていて、誰もいない礼拝堂を眺めることができた。
高いドームにオルガン、立像、壁画、蝋燭の光……とカトリックのスターターセットに感激してしまった。絢爛豪華とまではいかないが、プロテスタントの教会にしか入ったことのない人間にとってはなかなか新鮮なものである。
教会の天井画なんて見たことがないのでどれもこれもサイゼリヤの天井に見える。
撮影代ということで何ユーロかを寄付箱に入れ表へ出る。
ここの表には古代ローマが建てたとかいう列柱があり、すぐ脇を走るトラムと絡めて激渋写真を収めることができる。
こんなとんでもない建築がそこらにある環境すげぇな。
早々に引き上げトラムでヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアへ。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世といえば世界史の教科書でおなじみの「テアーノの会見」の絵画の右側の人である。世界史ヲタクとしては興奮せざるをえない。
カラスとアーチで構成されるドームはさすがの19世紀イタリア建築といった風情(建築に疎いのでよく分からんが)。
しかし観光客が多くてどうにもならない。店舗は高級ブランドショップばかりではした金も持たない庶民が行っても何を買うということもない。
もっと庶民的な買い物をすべく「ペネロペ」とかいうフリーマーケットを探してトラムで向かい、Google mapと見比べてそれを探すがどうしても見つからずとりあえずその辺のカフェでパスタとオレンジジュースとしゃれ込む。
パスタの味は普通。麺がエラくフィットチーネなくらいで特筆すべきこともない。
ジュースは酸味が強くいかにも海外のフレッシュジュースといった味でなかなかボーノだった。
フリーマーケットはおそらく一生見つからないので諦め、ちょうど近くのトラムの軌道が緑化されていて綺麗なので撮り鉄することにした。
めちゃおしゃれ。
その後はトラムに乗っかりポルタ・ガリバルディ駅西側の跨線橋へ。
跨線橋の上ではトラムを撮れるが前後の交差点の信号設定が絶妙でもれなくお洒落なイタリア車や日本車を絡めて撮れてしまうというおまけ付き。
仕方がないので手前側の交差点で撮ることに。
ここなら辛うじて手前被りすることが避けられる。
その後はミラノ公共交通を乗り回すなどしているうちに夕食の時間。
中央駅前のイタリア料理屋でミラノ最後の晩餐とした。
どの料理もレベルが高くさすがに駅前一等地のレストランというところ。
特にヨーロッパのチーズ特有のこの濃厚さね。ワインが進む進む。
翌日も朝からの移動となるのでストレートでホテルへと帰り、早々に就寝とした。
ちなみに中央駅前のホテルに宿泊したが、すぐそばの道路の超絶浅いところを地下鉄が走っていて深夜12時頃まで上下線3分くらいおきに轟音と振動が部屋に響くというオマケ付きで、都市交通ヲタクにはたまらないホテルだった。
でもクソ疲れてたんですぐ眠れたよ。
西欧鉄道旅行 2019 ②
現地時間9/3はマドリード→ミラノへフライト。
前日着いたばかりのバラハス空港からイベリア航空で飛ぶ。
ここのカウンターには電子チェックインの機械が何機も置かれていてパスポートをかざすだけでパパっと搭乗券と手荷物タグが発券される。
窓口では手荷物を預けるだけなので行列にもならずスムーズに手続きを終えられる。
便利。
さっそく時間が余ったので階下のカフェで午前中からビールごっこ。
スペイン名物「マオウ(Mahou)・ビール」。
ウンメェェェ~~~!!!
言葉が分からず適当に頼んだイカっぽいものが挟んであるサンドウィッチは硬くて冷たくお世辞にも美味いとは言えないが、それを凌駕するほどのノド越しの良いビールである。
しばらくしてゲートをくぐり、搭乗口へ。
またビールである。
エストレージャ・ダム(Estrella Damm)というバルセロナの銘柄らしく名前の通りレモンフレーバーのビール。
甘ったるくもなく果実感の強いさっぱりとした味わいはレモネードっぽくガブガブいけてしまう。
酒もぼちぼちに飛行機へ乗り込む。
2時間ちょいのフライトなのであっという間。
ミラノ・マルペンサ空港からはマルペンサ・エクスプレスという急行列車が走っていてミラノ中央駅までは1時間程度で着く。
車両はヨーロッパによくありそうな標準型の近郊電車だがマルーン色の特別塗装(?)になっているのですぐにそれと分かる。
ミラノ中央駅に着いて早々に驚かされたのは駅舎のスケールのデカさ。
いかにも「ヨーロッパの駅ですよ!」といった風情に圧倒されてしまう。
ムッソリーニ時代に造られただけあり、巨大なコンコースや当時としても豪華すぎる細部にまでわたる装飾はまさに全体主義の産物というのに相応しく、歴史のロマンを感じてしまう。
しかしタイ・ファランポーン駅を先に履修してしまったせいでヨーロピアンなアーチ屋根は「ファランポーンのデカい版じゃん!」という印象だったのは内緒。
駅前の宿に荷物を置き早速夕飯へ。
駅近くの「Osteria italiana」というイタリアンレストランでビスマルク・ピッツァとサラダ、カプレーゼ、赤ワインを注文。
ピザは生地が厚く噛み応えがある。
味は割と濃いめで日本のピザともあまり変わらないように思える。
サラダは大雑把に生野菜が盛られているだけでビネガードレッシング(というかバルサミコ酢)を掛けて食べる。
カプレーゼについては特に書くこともない。モッツァレラとトマトだ。
本場のイタリアンといえども駅近ならこんなものか。
夕食後はトラム10系統に乗り街を散策。
めちゃくちゃクラシックな車両が割とたくさん走っているらしくそこかしこで見かける。
ブレーキ緩めなどというヤワな技術はこの街では不要なのだろう、鋳鉄制輪子の手厚い歓迎(停止前にググッとくるあの重力感)を受け適当なところで降りる。
やっぱイタリアといったらジェラートっしょ。
メニューやフレーバーの種類が多すぎて語彙貧困英語のヲタクには厳しすぎるね。注文に3~4分かかったよ。
食べ歩きをしているとしばしばジェラートを片手にお洒落な散歩を楽しむ現地人とすれ違う。
イタリア人って本当にジェラート食べるんだね。
地下鉄で中央駅へ戻る。
日本より相当に長い日も沈みテツ向けの時刻に。
事前の調べで多くの外国駅の例に漏れずヨーロッパの駅は改札もなく出入り自由のホームで十分にテツできることは分かっていた。
さあホームでバルブ祭りだぞなどと思いつつ中央駅の重厚な石造りの階段を昇りコンコースへ……
は?「ワイ」
なんだこれは。
真新しい扉付きゲートに駅員が4人態勢で絶対に無札入場させないぞのスタイルで睨みを利かせている。
さらに「ちょっと入れてくれないか?」みたいな現地人風の客の頼みに無表情で「ダメだ」みたいな返事をしている。
入場券みたいなものがあるのでは、と思い券売機と格闘するが見つけられず。
乗車券を買ってもいいかとは考えたが適当に買って終電までに帰れなくなるのはご免である。
観光客だし許してくれるやろなぁ~のスタイルで威勢よく駅員にカチ込みに行く。
ワイ「は、Hi...! Where can I buy a platform ticket...?」
駅員「NO. (無表情)」
あ、これは詰んだね。
しかし諦めかけてコンコースから改札を観察していると、検札をしているのは入場の客のみで出場の客からは切符の回収すらしていない。
これはワンチャンと思い適当に一番安い切符を買うと入場のチェックは通過できてしまった。
こうなればこっちのものである。
メインはやはり寝台特急"Thello"。
巨大なアーチ屋根の下に EL×2 + PC×11 の堂々たる編成が止まる姿はさすがのエース夜行列車の風格を感じる。
しかし車両にトラブルが発生したらしく発車時刻を15分過ぎても発車しない。
到着する列車も減り改札がいつ閉まるのか分からず気が気ではない。
仕方がないので発車を待たずにホテルへ退散とした。
なおやはり出場時には何のチェックもなかった。
改札はホームレスや防犯対策のために4年くらい前に設置されたものらしい。
もしユーレイルパスを購入済みでなおかつ当日使用するならユーレイルパスで入れるだろうし、それがないなら初乗り的な切符で出入りできることが分かった。
西欧鉄道旅行 2019 ①
はい。
9/2~16で西ヨーロッパのいくつかの国へ行ってきたので。
なにぶんアジアの東端からユーラシア大陸の西端までのフライト。
飛んでちょっとして日本海を抜けると、そこはロシア。
シベリアからフィンランド国境で抜けるまで延々とロシア上空を飛ぶ。
窓から見えるのは人っ子一人いなさそうなだだっ広い大地、機内モニターの地図は知らない町の名前を映し続けるばかり。
早々に飽きて映画を鑑賞したよね。
↑これを観終わってやっと5時間半経過。
まだ全然着かない。てか全然シベリア上空。
これあれだ、青春18きっぷにおける静岡みたいなもんだ。
~ 9時間後 ~
着いた。
立った途端に尻は極限無感覚、背中と腰は圧倒的鈍痛。
14時間の飛行時間は日本発のフライトでは最長だとか。そりゃそうだ。
ホテルを空港近辺にとり、そのホテルの近くのレストランテでとりあえず夕飯。
ここでは意外と英語が通用せず、英語ができるという知識人風のキューバ人ウェイターを呼んでもらいステーキを注文する。
出てきたのは全体的に大雑把な肉質のもの。
塩コショウのシンプルな味付けは辛口の赤ワインにベストマッチ。
初日から満足度の高い食事だった。
撮り鉄 in 台湾南部 ④
4日目もGoogle マップで探し当てた撮影地へ。
背景に見えるユーロピアンな建物は「臺灣 Holocaust 和平紀念館」で、写真だと見切れているが右側にもう一回り大きいカトリック教会の聖堂が見える。
台湾ではここだけでなく、結構地方へ行っても立派な造りの教会を見かけることが多いように思う。
~余談~
ここは大通りの踏切脇のちょっとした橋の上で撮るんだが、どうも蟻が大量発生していたらしく、気付かないうちにカメラバッグが可動式蟻の巣と化していた。損害は乾燥剤一袋。見事に食い破られてしまった。近くの便利商店ではたき落とすも、定期的に蟻の死骸が出現するホラーバッグになってしまった。
害虫駆除の工作を終え鈍行に揺られていると、普快車にSPK32700が入っているとの情報が飛び込んできた。
もう一年くらいまともに普快車の運用に入っていなかったように思う。これを逃す手はない。
自強號で金崙へ急ぎ、3672次に乗り継ぐ。
南廻線はトンネルの数が非常に多く、またその長さも大変なものだ。窓が開け放してあるこの列車がトンネルに入ると、すべての音は機関車の発する轟音にかき消される。それだけに、列車が駅に到着したときの、非冷房手動扉客車特有の静けさはより際立つものだ。
まあ涼しい部屋で書いているからこんなことも言えるが、実際乗っていると蒸し暑くてたまらない。旧型客車は家で写真を眺めるのが一番だ。
1時間半ちょいで少々遅れて到了。
ちなみに乗客は20人程度で全員SPK32700に乗っていた。
その後は無座自強號で高雄へ戻り、六合夜市へ。
いかにも観光向けという風情なので、おすすめ度では瑞豐夜市のが勝つ。
しかしこじんまりしていて回りやすくはある。
5日目に日本へ帰国した。
次のご出国まで、しばしの待機である。